水浴(1969年)
130(高さ)×35(幅)×31(奥行き)cm
ことばの「身振り」によってではない。内面の思念が要約凝集されて、もっとも簡潔に一元化して「存在」している。これが真の「形」なのだ。彫刻とはそれ以外のなにものでもない。
-作者-
アラン(1932年)
38(高さ)×26(幅)×24(奥行き)cm
彼はモンテーニュやゲーテの直系子孫なのである。
「哲学とはもっとも深い意味において自分を見出すことである。人間の連續を。」
-作者-
海(1962年)
68(高さ)×28(幅)×44(奥行き)cm
ある日、陽暮れに近い時刻に海岸にたたずんでいたら、にわかに天地一切が薔薇色のもやに包まれてしまった。空も海も地面ももう区別がつかない。そうして一面の薔薇色の中に、空にも海にも地にもちらちらと金色に輝くものがある。もやの動きなのだろう。物音も水の中のように遠のいてしまった。風景そのものが恍惚状態にとけてしまっている。「自分」しかないのだ。しかもそれが何か広大無辺なものに包まれていて、実に懐かしいのだ。
-作者-
女のトルソ(1965年)
67(高さ)×22(幅)×21(奥行き)cm
首も手もないトルソの美しさは近代の発見と言えよう。昔は「美に対する観念」というより、むしろ藝術品を求める注文主が「完成姿態」を要求した。しかし、発掘された古代作品が、首や腕がない時、より本質の「美」を示していることへの感覚的知恵を近代人に与えた。
-作者-
高村光太郎(1959年)
55(高さ)×35(幅)×33(奥行き)cm
日本の彫刻界で彼のように聡明確実な腕をもった者は一人もいなかった。その上彼の世間を相手にしない孤高な魂はそれに気品を与えた。彼は木盆にヴェルレーヌの詩、「われは選ばれたる者の怖れと喜びを持つ」を原語で自ら彫りつけていた。
-作者-
カテドラル(1937年)
54(高さ)×30(幅)×25(奥行き)cm
ロダンがフランスの「カテドラル」の中で、ランスの寺を「跪いて祈る女」と云っているのは、勿論君は知っている。僕がはじめてランスの寺で受けた感動は、後年ギリシアのシシリアで受けたものと同質である。春の小雨の降る日、細い道に入って右にまがったら、不意に目の前に、雲の流れる濡れた空の下に、膝を折り、胸を張り、合掌し天を仰いで若い女が祈っていた。ランスのカテドラルが…。
-作者-
憩い(1961年)
48(高さ)×65(幅)×22(奥行き)cm
真の「空間」とは「自然」の中に「自我」が生むものなのだ。高い藝術作品がこれを示している。
-作者-
女の大トルソ(1963年)
75(高さ)×40(幅)×32(奥行き)cm
一つの姿態、一つのトルソ。これは多様の外界から「選ばれた」形である。構造はここではじめて存在理由を持つ。そしてたとえば、私は一生無限に「トルソ」を作り続けるだろう。
-作者-
在 2(1982年)
69(高さ)×60(幅)×40(奥行き)cm
彫刻が真の「彫刻」でありうるのは、あらゆる藝術作品に共通する一つの普遍性、形而上なものが「形」を通して内奥からにじみ出ている「存在」であることだけである。
-作者-
ポール・シニャック(1961年)
51(高さ)×28(幅)×30(奥行き)cm
それから次々と部屋の絵のコレクションを見てまわった。セザンヌの三十号の風景、これは驚くべき傑作だ。僕はうなった。シニャックもうなっている…。
-作者-
女のトルソ(1963年)
70(高さ)×31(幅)×26(奥行き)cm
どのように完全な姿態を巧みに写しても、それは真の「形」とはならない。人体の一部を現しても、それが極限の「調和」をえているならば、それこそ本当の「形」である。
-作者-
タゴール(1979年)
90(高さ)×70(幅)×55(奥行き)cm
タゴールの絵 ─ それはお伽話と詩と神秘とが一つになっている「たのしみ」である。 ― に彼の精神風土、詩魂、思想の原形質があると、私は思うのである。タゴールの思想形体は難しいものではないのだ。彼の本質はひじょうに単純素朴なのである。彼の絵がよくそれを示しているだろう。
-作者-
女のトルソ(1973年)
131(高さ)×34(幅)×28(奥行き)cm
藝術品はその「思念」を、それが包まれている詩と幻で私達に伝える。それで私がマイヨルの作品に地中海を感じるとき、私の想像は作品をも裏切らず、私をもあざむかないであろう。附けられた「題」は少しも干渉して来ない。一つの女のトルソ。
-作者-
棟方志功(1979年)
77(高さ)×58(幅)×37(奥行き)cm
棟方は、私が幼時の凧絵を連想したように、素朴な民衆作家から出発した。当時日本では、柳宗悦が民衆作品の美しさを一般に教え、陶器の浜田庄司がこれを享け継いだ。棟方はこの空気の中で育った。私は長い間日本を離れていたので、彼の約三十年間の仕事を知らなかったが帰ってきて彼の仕事を見て、彼がもう「版画家」を超脱した本当の美術家であるのに感動した。
-作者-
空のトルソ(1978年)
110(高さ)×29(幅)×32(奥行き)cm
画家が一定の額の中に、風景や静物や人物を構成するように、彫刻家は内部のものが形を構成する知恵を学ぶ。この意味で、私にとって人体も肖像も同じことである。「形」とは内部から押し出る力の極限限界なのだ。これを捉えること、すなわち、内部の力を一元的な形体・簡潔率直な形に要約するのが彫刻であろう。
彫刻とは純粋な形而上な術であり、音楽と共通する。
-作者-
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