水浴(1961年)
86(高さ)×20(幅)×18(奥行き)cm
真の彫刻とは、心ある者が立ちどまってひとり見るとき、語りかけてくるものである。装飾や建築に従属していた大昔から、彫刻の本質はそうであったのである。
-作者-
パラスのトルソ(1964年)
69(高さ)×31(幅)×26(奥行き)cm
パラスはギリシア神話のマテネ女神の別名で、ホメロスの物語ではいつも「パラス・マテネ」と呼ばれている。
-作者-
マハトマガンジー(1966年)
101(高さ)×58(幅)×50(奥行き)cm
部屋の窓際に大きな老眼鏡をかけたやせこけた白衣の小人が達磨のように坐って、糸車を紡いでいる。こちらの壁際に私は坐る。黙礼して一言もかわさない。寂かな部屋の中にじんじんとして伝ってくるものがある。なんにもいわないで、こんなに人間の存在を強く感じることはない。
-作者-
横たわる女(1969年)
47(高さ)×90(幅)×31(奥行き)cm
ただ親密な中で、歩みたどってきた私達の精神の姿を語り合いたい。形に触れ得るよろこび、どのような話にも、常に私達の魂が形而上のひろやかさにつながっているある歓びを得たい。
-作者-
女のトルソ(1965年)
62(高さ)×30(幅)×25(奥行き)cm
姿態や構造に過剰な「説明」がなく、ただ「黙って在る」ことがそれに接する者に「無限に語りかけ」てくる。これが美術の本質だ。言いかえると首も手も足もないただ「人間の中心なる胴体」だけで「美」を示せる作家が本当の彫刻家だ。
-作者-
在 1(1980年)
60(高さ)×45(幅)×35(奥行き)cm
「主よ、日は傾き夕暮が迫ってきましたから、どうか私たちと共にいてください…」「ルカ伝」の中の、イエスが復活して弟子たちのところに現れ、食事を共にした祈りの弟子たちの言葉である。
-作者-
高橋元吉(1970年)
51(高さ)×32(幅)×26(奥行き)cm
高橋元吉は私の一生の友だった。生き方も歩き方も二人はずいぶんちがっていた。しかし、自我の内部が命令するもの、精神の秩序、この点で二人は全く一人であった。
-作者-
礼拝(1982年)
185(高さ)×60(幅)×50(奥行き)cm
私がいる家のすぐ後ろの丘の上のサン・ミシェル寺の鐘がなる。夕べの祈の鐘である。ここの山峡の高みにあるアヌンシアータ修道院の神父が私に言ったことがある。「私は四十年この山から一歩も下に降りないで、毎日海の潮を見ていました…。」
-作者-
女のトルソ(1973年)
85(高さ)×34(幅)×28(奥行き)cm
トルソがそれだけで完全作品になるためには、よほどの力量、というより作者の内面的充実がいる。単純に見えるから、そこに無量のものを満たすのがむずかしいのである。古代作品にはこれがあった。
-作者-
男のトルソ(1973年)
68(高さ)×50(幅)×47(奥行き)cm
「ベルヴェデレ」の首も腕もない一つのトルソは、「ラオコーン」の身振りが説明するよりももっと真に自由に「人間」を示している。ミケランジェロはそれを知り、彼の作品でそれを私達に教えてくれた。
-作者-
憩う(1976年)
59(高さ)×80(幅)×44(奥行き)cm
マイヨルは「形」を再発見した。彼はそして「自然」の中から「思想」をくみとる。それの純化したのが「形」なのである。
-作者-
空(1978年)
128(高さ)×50(幅)×42(奥行き)cm
直立像が両腕を持つ場合、その位置の決め方がいかにむずかしいか。マイヨルはそれに苦心した。彼は直立姿態に彫刻本質を感じ、一生をかけた。
-作者-
宮沢賢治(1971年)
43(高さ)×29(幅)×32(奥行き)cm
「私の賢治」で好い。それは素朴実直な東北人、土壌に根を張った辛抱づよい一律に凝まった人間存在。私が打たれたのはその「単純」な徳性であり、もしそれに「詩人」とか「思想家」などという調味料を加えようとしたら、私自身が混迷してしまうだろう。…同じ東北人でありながら啄木と賢治は対蹠的な存在である。
-作者-
裸婦立像(1963年)
77(高さ)×24(幅)×24(奥行き)cm
創作行動とは孤独な行為である。ことに彫刻藝術は、「心ある者」のみをその前に立ち止まらせ、そして無限に語りかけてくれるものであろう。彫刻自体が独りあるものなのだ。
-作者-
新渡戸稲造(1976年)
71(高さ)×56(幅)×40(奥行き)cm
私の人物像は「似ていない」とよく言われる。ある一時の面しか見ていない者はそう思う。当然だろう。けれども、本当の肖像彫刻というものは、(私が考えているところでは)「人間」の容貌にそれが経てきた「時間」の層、その厚みが出なかったら意味を失うだろう。
-作者-
「作品一覧」に戻る
「作品一覧(制作年順)」に戻る
-TOP- に戻る
-ホーム-に戻る